■[思いで日記]
 初めてのアメリカ 。1970年6月29日、156名を載せたチャーター便が羽田を飛びたった。 海外へ行くのが初めてなら、飛行機の乗るのはもちろん初めて。目的地は西海岸、シアトル。 やたらでかい客室乗務員に圧倒される。何がでかいって、背丈だけじゃなくて胸も尻も・・・日本じゃこんなの見たことないな。

■[到着]
 シアトルの現地時間、午前二時。天候・気温のアナウンスがあった。着陸までもう少し。窓からは規則正しく並んだ光が見える。 初めて見るアメリカの灯。 暗闇の中に光る街路灯がやたらきれい。 この時の印象が強烈だったから、僕は今でも夜間飛行にあこがれるのかな。

■[バス]
 真夜中についた空港、税関の人以外は誰も居ない。 彼らも眠いんだろうな、簡単な手荷物検査で終わってしまった。バスに乗り込もうとして、あれれ?ドアがない。 いつもの癖で反対側にいってしまった。 それにしても、でかいバスだな。   

■[夜明け]
 朝3時に出発したバスはただひたすら地平線を目指して走る。 緯度は北海道よりもっと北、日の出が早い。4時前にはすっかり明るい。 何もない平野、本当に何もない平野。 この時の第一印象、誰がこの国と戦争をしようと決断したのか?勝てっこないよな。 爆弾落とす所を探すだけでもくたびれる。

■[宿舎]
 大学についた。 ここもまた、何もない砂漠の中。 隣の飛行場に飛行機がある。 まだ就航したばかりの747、これもでかい。 アメリカに来て見る物全てがでかかった。 後になって分かった事だけどこの飛行場、全米で一番大きな飛行場なんだって。 日航のパイロット訓練場でもあった。 この時、着陸態勢から又飛び立つタッチアンドゴーを初めて見た。

■[部屋]
 部屋割りが決まって、僕は秋田の高橋さんと同じ部屋。日本式に言うなら20畳くらいの広い部屋を半分ずつ使う。壁も天井もペンキが塗ってある。そういえば外回りも皆ペンキで塗ってあった。ベッドで寝る時以外、靴を脱がないからサンダルでも持ってくれば良かったな。少し時間があるからちょっと寝よーっと。

■[夕食]
 目がさめたら、外が明るい。「しまった!寝過ごした、と飛び起きて時計を見る。ん?さっきからまだ1時間位しか経っていない。どうも時差ぼけになったようだ。夕食の時間になったからカフェテリアに行く。自分の好きなものを好きなだけ取ってくる。うん!うまい!なんだか分からない物も、とりあえず食べてみる。ふん、ふん、明日からの食事が楽しみ。ラッキー!

■[教室]
 授業を受ける教室が遠い。先生たちは車で行くのに僕らは歩き。どれ位あるんだろう?とにかく20分以上まっすぐ歩く。見えているのに近づいてこない。何でもっと近くに教室作ってくれなかったの?土地が余ってるのはわかるけどさぁ、これが毎日かと思うと・・・諦めて歩くか・・・

■[ラジオ]
 日本から持ってきた荷物はスーツケース1つに収まるだけ。洗面用具に着替え、筆記用具とそしてラジオ。初めて聞く英語の放送は何が何だかさっぱりわからない。いろんな放送局があった。クラシックばかりかかっている局や、宗教音楽ばかりとか、放送局はとにかくたくさんあった。そんな中でJazzとPopsの放送局はよく聞いたな。

■[すき焼きソング]
 外国語の歌しか流れていなかったラジオから突然「上を向いて歩こう」が聞こえてきた。後で分かった事だけどこの曲、何週かヒットチャートの1位を取った事があるらしい。そして曲名紹介で ”Sukiyaki-song by Q Sakamoto” (坂本九のすき焼きソングでした)と言った。何でも、九ちゃんが、「曲名は?」と聞かれたのを「好きな食べ物は?」と勘違いして、答えたからこの名前になったとか・・・まあ、間違ったとはいえ、アメリカ人にとって日本の代表的な食べ物といえば寿司とすき焼き。覚えやすかったのがヒットした要因かも?

■[Chance of rain(雨の確率)]
 曲の合間に時々入るディスクジョキーの話、わからない・・・1週間も経った頃、やたらよく出てくるセンテンスを発見した。なんだろう?よく聞くと”Chance of rain, Zero”(雨の確率、0)と言っている。その前に”weather forcast”(天気予報)という言葉も耳に入ってきた。何か天気予報みたいだなと気が付いて、やっと雨の確率がゼロだと言っている事がわかった。言葉はやっぱり耳から覚えるものだ。赤ん坊が親のまねをして一つ一つ覚えていくように聞いて覚えるのが一番なんだ。テレビは仕草も分かるからもっと良いと言う人も居るけれど、しっかり聞き取れる耳を作ろうとするならば、僕はやっぱりラジオに軍配が上がるような気がする。 ”Chance of rain, Zero” から始まった僕の英会話、耳で覚えた発音はまだ健在だよ。

■[ショッピング]
 土曜日はおやすみ。日曜日も休みだけれどフィールドトリップがあるから、自由な時間が取れるのはこの日だけ。スクールバスにのって町に買い物に行く。バスで30分くらい。でも日本と違ってかなりのスピードで、真直ぐな道を30分だから相当遠い。一度バスに乗り遅れて歩いて行った。4時間かかっても着かなかったから、ヒッチハイクをした。乗せてもらったら3分くらいで着いた。何て車は早いんだろう。 やっぱ車が要るよ、この国は。

■[練り歯磨き]
 歯磨きのチューブが無くなったので買いに行った。 ドラッグストーアーの中を捜しても、ライオンやサンスターは置いてないからどれがどれだか分からない。仕方なく店員さんに聞いてみる。でも通じない。Tooth paste 発音が悪いから分かってもらえない。Thの音がうまく出来ない。結局買わずに帰ってきて、先生に特訓を受けた。次に行ったとき、やっと通じた。買って帰った練り歯磨きは虹色の、やたらにきれいな歯磨きだった。

■[フィールド トリップ]
 何の事かって?要するに遠足。 日曜日、観光もかねて、あちらこちらに連れて行ってもらった。 サック ランチ(袋に入ったお弁当)を持って、スクールバスに乗って出かける。見るもの全部が初めてだから、飽きる事はない。 いわゆる観光地でもないから、観光客でごった返す事もない。 久しぶりに小学生になったような気分で楽しんできた。

■[サマータイム]
 大学のあるところは北海道よりも北にあるから、夏は日が長い。Daylight Saving Timeと言って、夏になると1時間繰り上がる。変更されたばかりの時は、6時でもまだ暗いがしばらくすると5時には明るくなる。そして夜11時頃まで明るい。だから授業が終わって夕ご飯を食べても、太陽はまだ頭の上にある。この国では「暗くなる前に帰るのよ」とは言えない。慣れるまでの毎日が睡眠不足だったな。

■[カーニバル]
 何もなかった所に突然、遊園地が出来た。観覧車、ティーカップ、メリーゴーラウンド、空中ブランコ等、回転コースターこそなかったが、既設の遊園地で見かける大抵の乗り物がある。夏休みの間だけ営業する仮説の遊園地。「カーニバルに行こう」と誘われて連れて行ってもらった。ポップコーンにホットドッグは定番の食べもの。自分がまるで映画の中にいるようで・・・乗り物も食べものも大抵が25セント、3ドルもあれば暗くなるまで充分に楽しめた。

■[両替]
 日本からいくらかの現金を持ってきた。殆んど使う事はないが、それでも日用品を買うのに何がしかのお金は必要。手持ちがなくなると銀行に行って両替を頼む。最初の頃は1万円で27ドル位と交換してもらっていた。それがいつの間にか30ドルになり、50ドルになった。何かすごく得した気分。今なら100ドル近所に成るんだけれど、僕の頭にはいまだに27ドル1万円の感覚が残っている。ポッケに入った20ドル札、これだけでとてもリッチな気分になれた時代が懐かしい。

■[日本食]
 日系2世の人が、よく僕たちの世話をしてくれた。日本食が恋しいだろうと言っては食事に招待してくれた。別にそんな事は無いとは思っても、せっかくの好意だからよくご馳走になりに行った。でもなんか違うんだな・・・日本食と言うより、やっぱり日本食風American foods。ミルクとケチャップ、ドレッシングに慣れた口には、日本食もやっぱりミルクで炊いたご飯の方がおいしかった。

■[砂漠]
 エアコンのない車に乗せてもらった。暑いので窓を開けようとしたら、”Don’t do it.”と言ってとめられた。外気温は約45℃。窓をあけて走るとやけどをすると言われた。45℃と言っても湿度が低いから日陰に入ればそれほどの暑さは感じない。でもその風に当たり続ければ確かにやけどするだろうな。建物の周りにはきれいな芝生が張り巡らしてあるけれど、そこには必ずスプリンクラーが水を撒いていた。手入れして人間が住んでいるけれど、やっぱりここは砂漠なんだ。

■[紙]
 この国は、なんとも大量の紙を消費する。ティッシュは今でこそ日本でも大量に使うようになったが、使い捨てが一般的でなかった時代に、ペーパータオル、油取り紙、買い物用のペーパーサックなどなど・・・文化のバロメーターは紙の消費量に比例するのだと思った。 とにかく半端でないその消費量、でも実に合理的。 必要な所には存分に、それ以外は実に簡素。見習っても良い一面かな。

■[ハンバーガー]
 アメリカに来て最初にマックに行ったとき、コーラのコップのでかい事にびっくり。そしてフライドポテトとハンバーガーを、とてつもなくうまいと思った。アメリカの食べものに違和感を持たなかった事もあるけれど、改めてアメリカ人がでかくなる秘密を知ったような気がした。ところでマクドナルド、このまま言うと絶対通じない。何でもいいから真中の”ド”をむちゃくちゃ強調して言う。マク ”ド” ナルズと言えば通じるよ、きっと。

■[夏の風景]
 雨が降らないから、夏になると畑一面に灌漑用のスプリンクラーが回りだす。その水のかかっている部分だけがきれいな緑色になる。畑でないところは茶褐色で何も生えない。そのコントラストがなんともきれい。どの家の庭先にもきれいな芝生が張ってある。この芝生、緑に飢えた人達の安らぎであると同時に、1週間に1度の芝刈りは子供たちにとっても貴重な収入源。僕も学生の時やったけれど、短時間でたくさん稼げるとってもいいバイトだったな。

■[梨]
 最初の2年間、僕たちの身分は研修生。渡航費用と大学の授業料を稼ぐための仕事ができる便利な身分。今たくさんの中国人がこの身分を利用して日本で働いている。僕も同じような事をアメリカでしてきた。話がそれたけれど、メドフォードでは梨のパッキングセンターで働いた。シーズン前には出荷用の箱を山ほど作り、摘み取りが始まると大きさ別にその箱に詰める。僕は倉庫から、縦、横、高さ、それぞれが1.5mほどの箱に入った梨を、フォークリフトで機械の投入口まで運ぶ役目。積み木みたいに高く積まれた物を崩しては運び、又きっちりと並べる。アメリカ人でこの作業がやたらうまい人がいて、いつも彼と競争していた。面白かった。おかげで休みになるとこの人、いつも何処かに連れて行ってくれた。本当に楽しい3ヶ月だった。

■[安いビーフ]
 研修生仲間で英語が不得意だった人のお話。あるミーティングで食べ物の話になった。
彼:「アメリカはさすがにビーフが安いよな」
僕:「そうだな、厚さが2センチもあって、わらじみたいにでっかいのが1枚1ドル50セントだもんな。日本じゃ絶対食べられないよ。」
彼:「いやぁ、おれもっと安いのみつけたよ。一人じゃ食べきれない量のビーフがたったの99セント、それが又うまいんだ。ちゃんと味付けもしてあるし」
僕:「うそぉ そんなに安いの僕知らないなぁ」
彼:「そうだろう、これだよこれ」
と言って見せてくれた缶詰、見て唖然とした。なんとそれはドッグフード。確かに大きな字で”Beef"とは書いてはあるが、小さい字で書かれてあった "For your lovely dogs"(あなたの愛犬の為に)という文字が理解出来ないでいた。犬のいない彼の裏庭に大量に残された空き缶はきっと近所の人には不思議な光景だったに違いない。

■[日本語訛り]
 一緒にアメリカに向かった156名の日本人は全国から集まってきた。沖縄から来た具志君や宮城さんは3ヶ国語を話した。日本語、英語、そして沖縄語・・沖縄の言葉は一種の方言なのか、とにかく僕には理解できないから沖縄語として認める。一方、青森の久保君、自分の名前をいつも「くんぼ」と発音する。サ行の発音も、僕の耳には「さ」以外は全部「す」にしか聞こえなかった。その彼が話す英語、日本語の訛りが残っていてなんか変。相変わらず「さ」以外は全部「す」と発音するのだが、アメリカ人にはよく通じるみたいで・・・不思議な英語だったなぁ

■[食事係]
 研修生生活2年間の内、約1年間は農場で働いた。最初は8人の共同生活。朝、昼、夜と食事の当番を決めて、生活していた。普段食事など作った事のない者同士が、ああだ、こうだと言いながら作る。面白いのはそこまでで、いざ食べる段になると皆無口になる。回を重ねるにつれ、なんとか口に入るものが出来るようになった。僕はもっぱら朝食専門。ベーコン、卵焼きとスープにトースト。定番の食事で一番簡単。それに失敗しても、朝の忙しいときには誰も文句を言わない、というのがもう一つの理由。

■[ニックネーム]
 世界のホンダとヤマハのおかげで、僕の苗字は誰も間違えることなく発音してくれた。しかし名前の方は、日本語を勉強した事のある人以外、正しく呼ばれた事はない。「ウキタック」大抵の人がそう発音する。最初、誰の事か分からず、3回ぐらい呼ばれてはじめて自分だと気付く。それ以後、僕はアメリカン ニックネームを持つ事になった。「Spike」 バレーボールをしていた時に日系の3世が付けてくれた名前。スパイクは、僕の大好きなスヌーピーの兄貴の名前でもある。

■[青空]
 僕が6年間のほぼ8割を過ごしたオレゴン州。 アメリカの中にあって比較的緑が豊富な州。緑が多いと言う事は他の州に比べると雨もたくさん降るが、日本とは比べ物にならない量。 僕は傘を使った事が無かった、といえば大体の想像はできる?雨が降らないと言う事は、雲も無いから空はいつも青空。青色が違う、本当に、本当にきれいな青空だった。

■[Medford]
 僕が住んでいたのはオレゴンでもずっと南の方。30分も車で走ればカリフォルニア州。人口は3~4万人なのに、オレゴンの中ではポートランド、ユージンに次いで大きな町。ちゃんと飛行場もある。地図にだって大きな文字で載っているのに、この町の特産は?と聞かれるとさて何でしょう?梨畑は多かったな。他に大きな工場らしきものも無かったし、この町の人、何処で働いていたんでしょう?

■[ショッピングセンター]
 人口は少ないが、それでもオレゴン州の中では3番目に大きな町、メドフォード。大きなショッピングセンターが3つもあった。さすが車社会、バカでかい駐車場がある。Kマート、シアーズ、そしてJCペニーズ。全国展開をするこれらの他にも中小のショッピングセンターが4つくらいあった。その中で僕ら貧乏研修生が行くのはKマート。日本製を初めとしてアジア、メキシコあたりの安いものが取り揃えてある。アメリカに来てまで日本製を買うのはね・・・という人もいたが僕は好んで日本製を買った。だってそれが一番安心できたんだもの・・・

■[英語教師]
 オレゴンに来てすぐに、退職した小学校の国語の先生と知り合いになった。ジム・メドレーとパトリシア・メドレーがこの夫婦の名前、ジムは70歳くらいだったかな?電力会社で働いていて退職した老人。 Mrs.Medley は小学校で国語を教えていた。結局、この人達に6年間世話になってしまった。孫のように可愛がってくれたし、サンクスギヴィングデイや、ハロウィーン、クリスマス等、行くところが無いと、いつもこの家でご馳走になり居候をしていた。英語で喧嘩ができるようになったのも、大学の授業を理解できたのも、全部この人達のおかげ。 そういえばうちの親父、「メドレイ」と言えずいつも「メンドリさん」って言ってたな。

■[運転免許]
 アメリカに来て半年が過ぎたとき、運転免許を取りに行った。筆記試験を受け、70点以上取れれば実技試験に入れる。90点取れた。2~3個の問題は、問題そのものが分からなかったから答えようが無い。実技試験は試験車持込。ボスの奥さんの車を使わせてもらった。地理はさっぱりわからないから、試験官が曲がれと言った所で曲がる。曲がった時に右と左を間違えそうになるが、何とか出発地点に戻ってきた。 ”OK ! ”と言う試験官の声に、やったー!20分ほど待って免許証を貰って帰った。写真もないただの紙切れ。ほんとにこれでいいの?

■[もう一つの運転免許]
 運転免許を取って1年、日本の2種免許のようなものがショーファーズと呼ばれる職業免許。バス、タクシー、なんでも乗れる。試しにと僕も挑戦してみた。前と同じように筆記試験と実技試験。実技試験、今度は外に出ない。トレーラーを前進、後退させるだけ。ようは動かせればいい。簡単に取れた。本当に、本当にこれでいいの?

■[右側通行]
 最初の頃、車に乗せてもらって交差点を曲がると、思わず足に力が入る。「入る車線がちがう!」と叫びかけて、「ああ、ここはこれで良いんだ」という状態が1週間ほど続いた。
 運転免許を取ってからアメリカで車線の間違いをしたことはないが、途中で日本に帰った時にやってしまった。自宅前の道で同じ車線を走ってくる車を発見、”なんて奴だ”と心の中で思いながら、それでも安全のため車を渕に寄せて止まった。すれ違いざま、けげんそうな顔で僕を睨みつけていった女の子。止まってやったのになんだあの顔は、と思ったその時、運転席が道路の中央側にない事に気が付いた。 ああっ ごめんね彼女、ここは日本でした。

■[VW]
 僕が居た頃、オレゴン州をはじめ殆どの州には車検制度がなかった。だから悪くなった所だけ直して乗り続ける人が多い。以前にも書いたようにエンジンそのものがカタログショッピングで買える国。形は古くても中身は最新というのも珍しくはない。
 ところで僕がボスから借りて乗っていたのは1954年製のフォルクスワーゲン・ピックアップ。運転席にはスピードメーター以外はラジオ位しかなかった。燃料メーターはなし。タンクには丁度10ガロン(37.5リットル)入って約200マイル走れる。ガス欠の時は1ガロンの予備タンクの燃料を使う。日本のように渋滞に巻き込まれると不安だけれど、田舎町で渋滞とは無縁のところならこれで十分。結構楽しかったよ。

■[VW2]
 この車、スピードメーターは60マイル(96Km)までしかない。アクセルを床まで踏みつけると55マイルくらい出る。速く走りたい時は大型トラックの後ろに付く。余りぴったりつくとかえって逆効果。少し離れて風が後ろから吹いてくるところを狙う。そうするとあら不思議、メーターが振り切れる。朝の出勤はいつもこの手を使った。大型トラックのおかげで僕は少しだけ朝寝坊が出来たのでした。

■[フリーウェイ]
 どうしてフリーウェイって呼ぶんだろう?タダだから?う~ん、でも一般道は全部タダなのにフリーウェイとは言わなかったなぁ。正式には InterState Highway と言う。だからアメリカ人は略してI・5(アイ・ファイブ)のような言い方をする。数字は奇数が南北の線、偶数が東西の線にあてられる。 州をまたいで通るハイウェイは、人々に限りない自由を感じさせてくれるから・・・フリーウェイ・・・なのかな?

■[新学期]
 アメリカは9月から新学期。25日前後が入学手続き、在籍手続きの日。大学は3ヶ月ずつ4学期に分かれている。Fall, Winter, Spring そしてSummer term 基本的にどの学期を取るのも自由。だから冬を休んで夏に行くなんて事もできる。単位さえ取れば進級できる。だから何年生なのかはその人しか分からない。ちなみに僕は2年生になるのに1年と3ヶ月かかった。そして2年生が終わるまでに9ヶ月。これで皆に追いついた。最後の年は早く日本に帰りたかったから、夏学期も頑張って授業を受けた。さすがに学生が少なくて静かだったなぁ

■[大学]
 中学、高校、大学で一番良く勉強した学校はと聞かれた時、僕は迷わず大学と答える。そして一番楽しかったのも大学かな。その大学、オレゴン州の一番南にある、Southern Oregon State College 略してSOSCという。人口が4000人ほどの小さな町だけど、シェイクスピアの劇場があってアメリカ全土から観客が来ていた。この劇で使われる英語、ネイティブでも難解だというほど難しい。僕ら外国人には到底理解できる英語ではなかったので、見に行く事はなかった。でも今思えば行っておけばよかったかな。芸術に言葉は要らなかったのに・・・

■[日曜日]
 大学のカフェテリア、日曜日の食事は2回しか用意されない。朝、昼兼用の食事。10時から12時までの間に食べる事ができる。アメリカ人は大抵その前に教会に出かけるが、僕たちは行かない。だから早起きをするとひもじいので、できるだけ遅く起きようとする。でも、金曜日の夜に遊びほうけて土曜日ゆっくり寝てるから、どうしても日曜日の朝は早起きになる。土曜日の朝食は起きられなくて食べられない。日曜日は起きても食事がないから食べられない。これはきっと食費を浮かすための陰謀に違いない・・・

■[アメリカの警察官]
 レンタカーを借りた。慣れない車で大通りを横切る時、急発進をさせたらタイヤが鳴った。「わっ、すごいパワー!」と思った瞬間サイレンが鳴ってパトカーに呼び止められた。車から出ると警察官がピストルに手をかけ、手を上げて車の側に立つよう命じられる。身体検査が終わってやっとピストルをしまってくれたが、ポケットに手を入れるような仕草でもしようものなら即、撃たれていたかもしれないと思うとぞっとする。免許証を見せ、自分は日本人で、こんな車に乗るのは始めてだの・・・急発進した理由のありったけを説明した。"Drive carefully"と言って開放してくれた時、もう2度と警察官のお世話になるような事はするまいと心に誓った。

■[ハイウエイ パトロール]
 カリフォルニアでハイウエイパトロールにスピード違反で捕まった。オイルショック前、フリーウエイの速度制限は大抵の州が70マイルだったけれど、その時は55マイル(88km/h)が制限速度。一緒に乗った友達との会話に夢中になり、ずっと65マイルで走っていた。前にも後ろにも車はいなかったのに、赤色灯をつけて近づいてきたパトカーが僕の後ろに付いた。なんだろうと思って車を止めると、警察官が"Hello, How are you?"という挨拶の後スピード違反である事を告げられた。「10マイル(16km)以上前からずっと付いて来たけれど、その間65マイルで走行してきた。だからあなたは10マイルのスピード違反です」 確かにその通り。しばらくして罰金20ドルの納付書が送られてきた。最初、駄洒落かと思ったが、そうではなかった。

■[週末]
 大学のあったAshland (アシュランド)は、オレゴン州の南の端にある小さな田舎町。娯楽施設は、ゴルフ場が1箇所とボウリング場、ビリヤード。映画館はメドフォードまで行くことになる。ドライブイン・シアターは隣町にひとつ。
 金曜日の夜に大学のホールが臨時の映画館になる。町の映画館は3ドルから5ドルの入場料だったのに対し、ここは一律50セント。安くても結構新しい物が多かった。映画を観た後、近くのピザ屋さんで長さ30センチ以上はあるフランスパンに、レタスやいろんな種類の肉を挟んだサブマリンと呼ばれるサンドイッチを食べる。これがまたとっても美味しい!わずかなお金で、すごく平和な時を過ごせた学生時代・・週末の楽しいお話。

■[銃]
 ピストルやライフルが、スーパーマーケットの隣で売っていた。買おうとすれば一応身分証明書は必要だけれど、無くても買えない事はない。弾はサイズさえ言えばそれでOK。高価な拳銃はショーケースに入ってはいるが、一般的なものはおもちゃ屋さんの陳列棚みたいな所に並べてある。この国では食料品と同じように、銃も生活必需品なんだろうな・・理解できない不思議な光景。

■[$20]
 日本の2千円札は人気がないけれど、アメリカで普段財布に入れて持ち歩く高額紙幣といえば$20札が一般的。$50とか$100札もあるけれど、ほとんどお目にかかったことはない。個人用小切手で支払う習慣があるから現金は持ち歩かないし、もし使おうとしてもお釣が準備されていない時の方が多くて使いづらい。でもこの$20、実に価値があった気がする。財布に1枚入っていればすごくお金持ちの気分が味わえたし、実際相当の買い物が出来た。LPレコードが1枚5ドル弱だから4枚も買えた。

■[ジョーク]
 アメリカの大統領選挙はオリンピックと同じ年に行われる。リチャード・ニクソンが、ウォーターゲート スキャンダルで失脚する前の選挙戦での話。
車社会の国らしく、選挙戦が始まると支持政党の候補者の名前を書いたバンパーステッカーがたくさんの車に貼り付けられる。その中身は応援メッセージばかりではなく、相手を誹謗するものもかなり目に付く。その中に"リック・ディック"と書かれたものがあった。リック、ディックのどちらもリチャードの愛称。でもこの二つの言葉が繋がるととんでもない意味になる。「男性自身を舐めまわす」 このステッカー民主党支持者の車に張ってあったから多分ニクソン批判なんだろうけれど、アメリカ人もよくやるよ・・。

■[スラング]
 スラングを「方言」と訳す人もいるけれど、少しだけニュアンスが違う。"chick"はヒヨコの事だけど、かわいい娘を "Good looking chicks"と表現する。これが "Chicken"になると「すっとぼけた変な野郎」になる。"bitch"(ビッチ)はメスネコが本来の意味。放浪癖のあるネコ、何処でも性交渉を持ってくるから「アバズレ」の意味に使われる。で、"Son of a bitch"はその息子。男を誹謗する最もポピュラー?な言葉として日本でもおなじみ・・。

■[クリープ]
日本で「クリープ」といえば、あのコーヒーに入れるインスタントの粉末クリームを意味するが、英語では「忍び寄る変態」。「カルピス」も日本では乳酸飲料だけど、英語を直訳すれば「カルシューム小便」。日本人が不得意な発音の一つに"F"があるけれど、"Four"(4)を下唇を噛まずに発音すると「ホー」と聞こえる。これは売春婦の事。発音を間違えると通じないばかりか、とんでもない意味になるからくれぐれもご注意を。でも外国人の場合、ほとんどがご愛嬌で通るから神経質になる必要はないけれど、まあ、参考までに。

■[ニューヨーク]
ニューヨークに行ったときのお話、この町を観光するにあたっての注意事項のひとつに「ホモに注意」というのがあった。トイレには絶対に一人で行くな、ホテルのドアはノックされても開けるなと書いてあった。女性の単独行動は控えるようにというのは聞いたことはあるが、男子までがこんな事になっているなんて信じられなかった。おかげで2日間、ツレションに付き合ってもらったり、付き合わされたりと大変。でも人々の様子をよく観察していると、よれよれのTシャツと汚いジーンズをはいた集団を、大抵の人が避けて通る。要注意人物として見られていたのは、我々の方だったみたい。

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